バカロレア哲学②「より短い時間働けば、より良く生きられるのか?」
こんばんは!
いやはや、ちょいと忙しいこともあり、紹介記事の探し方に迷っていることもあり。
ということで、こいう新頻度が遅くなっています。
というわけで久々の更新。
バカロレア哲学「より短い時間働けば、より良く生きられるのか」②です。
Je vous remercie de tout de mon coeur pour votre générocité.
改めてになりますが、掲載元は、Annabac 2017 Philosophie (c) editions Hatier, France になります。誠にありがとうございます。
今回から、「模範解答」の翻訳になります。また、前回に引き続き 真夜中さん(@m_minuit)さんにご協力いただいています。ご協力、本当にありがとうございます!✨
それでは、模範解答訳に突入して第1回。今回は、論述回答の「イントロダクション」です。
ここでは、労働の量と我々の人生の質の関係について論じていく。
「働けば自由になれる」アウシュビッツ収容所の門には、この標語が掲げられていた。
しかし、本当に働けば良い人生が待っているのだろうか?
「労働」とは、自己の成長につながる努力を伴いながら、自分自身の外に存在するものを変えていく行為である。今日の労働は「生産的な労働」と呼ばれており、生産性の向上を目的とした分業によって成り立っている。
生きるとは、ただ単に生き延びることではない。生きるとは、良い人生を送ることであり、人生を質的な観点から捉える必要がある。
しかし、何を持って我々の労働時間は、我々がより良く生きることを妨げているといえるのだろうか?我々が労働に費やす時間は、人生に含まれない時間なのだろうか?あるいは、「悪い」人生を送っている時間なのだろうか?労働に費やす時間を減らすことで、我々の人生は良くなるのだろうか?それとも、労働の量と労働に対する我々の要求の度合いを変えた先に、より良い人生があるのだろうか?
ここでは、このことを明らかにするよう問いが投げられている。
以上のことから、まずはじめに、より良く生きるためには必ずしも働かなければならないのか?つまり、労働は人間の本質ではないのか、ということについて考察する。
次に、人間的に生きるということを目的とした場合、なぜ労働時間を減らすことに繋がるのか、ということについて検討する。
そして最後に、より良く生きるということについて考える時、なぜ我々は労働と人生を分けて考えることを拒否するのか、その理由について考察する。
Annabac 2017 Philosophie (c) éditions Hatier, France より
・テーマは何を問わんとしているか理解していること、かつ、
・テーマの中の用語の意味や定義を理解していること を示しながら、
・論述全体の概略を示す
っていうのを、イントロダクションでは求められるみたいですね。
いやーかける気しないわーーー!!!!😇
というわけで、イントロダクションの模範回答でした!楽しみにしてくださっている方がおりましたら、次回もお楽しみに!笑
おわりっ🌾