バカロレア哲学③「より短い時間働けば、より良く生きられるのか?」

年末と年始を跨いだ微妙な時間に書いています。あけましておめでとうございます🎍✨新年早々、訳あってセメントの作り方を調べて「へー!」となっています。かつ丼です。

今年も「しゃくとり語学むし」をよろしくお願い致します。

 2017年最後の、そして2018年最初の記事は、フランスのバカロレア試験の哲学科目の模範解答パート③です。さすがに本論ですので長いので、何回かに分けて紹介していきます。

Je vous remercie de tout de mon coeur pour votre générocité.

改めてになりますが、掲載元は、Annabac 2017 Philosophie (c) editions Hatier, France になります。誠にありがとうございます。

 

今回から「本論」に突入します!引き続き、真夜中さん(@m_minuit)さんに本当に、本当に!助けていただいています。本当に、ありがとうございます。

さてさて、前回までのイントロダクションや、用語の注意を見てくださった方がいらっしゃいましたら、どうでしょう?なんとなく解答できそうですか?

それでは、本論はこちらになりますー!

 

1. 働くとは、つまりより良く生きることである。

 

  A. なぜなら、生きるためには働かなくてはならないからである。

 まずはじめに、より良く生きるためには、より長い時間働く必要があると考えることができる。これは、社会的及び生きるために必要不可欠な欲求を満たすための能力と豊かさによって、我々の人生の質は決められるからである。

 我々の人生の質を快適さとした場合、より長い時間働き、より多くの収入を得るほど、労働の時間の外で「快適な人生」に近くことができると考えられる。 

 しかしながら、労働によって手にいれる収入は、労働に費やす時間とは全く関係がないと言わざるをえない。

 しかしその一方で、より長い時間働きその分自由な時間を減らしている人は、より長く自由な時間を持つ人以上に、より良く生きていると言えるのだろうか?人生の質は、プライベートな時間を犠牲にしているという自己満足と、混同されなくてはならないのだろうか?

 

 B. なぜなら、労働とは人間の本質だからである。

 実際には、「良い人生」の定義を検討する必要がある。

 労働の時間外でしか享受できない人生とは一体何なのだろうか?労働が「良い人生」の条件とされた場合、良い人生というのは金銭的に贅沢なものではなく、人間的なものでなくてはならない。これは、マルクスが著書『資本論』の中で「労働は人間の本質である」と書いていたとおりである。

 労働が人生を捧げることに値するとすれば、それはただ単に生物学な生を全うすることから抜け出し、人間らしく生きる場合に限るのである。人間的な能力を発展させながら、労働を通じ努力と創造性を手にすることで、我々は自らの外と内に存在する自然に立ち向かい、より人間らしくなっていくのだ。

 言い換えると、より長時間働くほど、我々は動物的な生活から遠ざかり、より人間らしくなるのだと言える。労働とは、働きたいという欲求、すなわち人間の本質を実現したいという欲求を満たす行為なのだ。

 

【展開】

しかし、もし労働が良い、あるいは人間的な人生であるなら、マルクスの『経済学・哲学草稿』(1844)の中の「物理的またはその他の制約がなくなったとき、労働は疫病神のように恐れられる」という記述は、どのように説明することができるだろうか?

Annabac 2017 Philosophie (c) éditions Hatier, France より

ということで、本論パート①でした。

本当にね、これ高校生が回答するんかいなという感じがすごいです😇さっぱり手も足も出ないです。

それでもきっと高校生の時から、はたまたもっと早い時期から、回答の正解不正解は別にして、こういうテーマについて話したり考えたり、意見を交換することができるなんて、きっともの凄く面白いだろうなぁと思ってしまうばっかりです。

 

おわりっ🎍